【レジェンド】 ロナウド 〜ペレやマラドーナに最も近づいた男〜

配信日:2015/08/26 09:37 Written by 中山 亮
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【レジェンド】 ロナウド 〜ペレやマラドーナに最も近づいた男〜
SPAIN - AUGUST 25: FUSSBALL: FC BARCELONA 25.08.96, RONALDO (Photo by Henri Szwarc/Bongarts/Getty Images)
王様ペレと神の子マラドーナ。この2人はサッカー界を代表する2人でどちらがスゴいのかという事が世界中で議論されます。当然結論のでない話しなのですが、それを議論してしまうほどこの2人は他のサッカー選手とくらべて別格にあるのは間違い無くサッカー界では少し抜けた存在になっています。

しかしその後この2人に最も近づいたと言われる選手がいます。
その選手はロナウド。
クリスティアーノ・ロナウドではなく、もちろんメッシでもジダンでもファン・バステンでもプラティニでもジーコでも無く、フェノメノ(超常現象)と呼ばれたブラジル人FWのロナウドです。

ロナウドが世界に知られるようになったのはPSVアイントホーフェン時代。16歳でブラジルのクルゼイロでプロデビューしたロナウドは1年でヨーロッパへ移籍。在籍3シーズンでリーグ戦46試合に出場し42得点というとんでもない記録を残します。
そして96/97シーズンにバルセロナに移籍。
ボビー・ロブソン率いるバルセロナはヨハン・クライフ率いるドリームチームが終わった後の過渡期で現地メディアからも「攻撃の戦術が無い」と批判を受けるチームでしたが、監督自ら「私の戦術はロナウドだ」と反論。実際攻撃はロナウドの個人能力でスーペルコパ・デ・エスパーニャ、コパ・デル・レイにて優勝を果たします。1人でチームを優勝させる事ができる選手でした。
そしてその後インテルに移籍。
このバルセロナから1997年のコパ・アメリカを挟んでインテルで怪我をするまでの3年ほどがロナウドの全盛期でした。
1997年コパ・アメリカのロマーリオと2トップを組んだRoRoコンビは圧巻で、若さに溢れスター街道を駆け上がるロナウドとベテランの域に達し身体能力は落ちていくものの経験でカバーするロマーリオがちょうど絶妙なタイミングでピッタリあった奇跡の様な2トップは、おそらくこのこれまでのサッカー史上で最も強力な2トップだったと言っても過言ではないでしょう。
惜しまれるのが、このピッタリあったのが97年のコパ・アメリカでの出来事で、98年のワールドカップでは既にロマーリオがパフォーマンスを落としリタイアしてしまったので、世界的なムーブメントにはなりえなかった事でしょうか。

ロナウドのプレーでまず衝撃を受けたのはその爆発的なスピード。現在でも信じられない程のスピードのある選手は多数いるように当時も多数いましたが、そういった選手とロナウドのスピードは全く異なる種類でした。他の選手はスピードに乗って加速していくという感じなのですが、ロナウドは1歩目から既に信じられないほど速い。まさに爆発的という表現がピッタリのスピードでした。1歩目から速いということはドリブルをしていても速いという事。追いかける選手よりもドリブルするロナウドの方が速いという事がざらにありました。
そしてロナウドは速いだけの選手でもありません。足元も右利きなのか左利きなのかもわからないほど上手い。ドリブルで1人や2人なら簡単に交わしてしまいます。
そしてさらにシュートも抜群に上手い。
左右両足を自由に扱えるので右でも左でも強いシュートからコントロールしたシュートまでGKのいない所、GKの取れない所に確実に蹴る事ができる選手でした。
このシュートの上手さが怪我をしてしまいスピードが衰えたあとのプレーを支えていました。

彼が怪我をしてしまったのは、彼自身のパワーに肉体が耐えられなかったからだと言われています。
怪我をしてしまった後は残念ながら2度とあの爆発的なスピードを見ることは出来ませんでした。
怪我の後も高い技術をベースに活躍しユニークな髪型でプレーした日韓ワールドカップで優勝するなど日本でも人気の選手となりましたが、繰り返された怪我さえなければきっとペレやマラドーナと同じ様にロナウドも語られていたんじゃないかと思います。



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