「日本サッカーの父」デットマール・クラマー氏 死去

配信日:2015/09/20 14:03 Written by 中山 亮
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「日本サッカーの父」デットマール・クラマー氏 死去
FRANKFURT AM MAIN, GERMANY - OCTOBER 08: Head coach Dettmar Cramer looks on during the DFB Writers League match between Germany and Argentina on October 8, 2010 in Frankfurt am Main, Germany. (Photo by Jan Huebner/Bongarts/Getty Images)
日本サッカーの父と呼ばれるデッドマール・クラマー氏が9月17日に亡くなられたと以前コーチを務めたバイエルン・ミュンヘンが発表しました。享年90歳。



またドイツサッカー協会もコメントを発表


日本サッカー協会からも発表されています
デットマール・クラマー氏の訃報に際し、大仁会長、川淵最高顧問よりお悔やみの言葉 | JFA|公益財団法人日本サッカー協会

クラマー氏は東京オリンピックを控えた1960年に日本代表を指導するためにコーチとして来日。初歩的な練習の繰り返しが多く最初は批判的な声もありましたが、それを徹底。
1964年の東京オリンピックではアルゼンチン代表などを破りベスト8にまで進出した。
そして帰国に際して
・強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
・コーチ制度の確立。
・芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
・国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること
・高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。
の5つの提言を残し、それを受けて1965年に日本サッカーリーグが発足することとなりました。

そして東京オリンピックから4年後に開催された1968年メキシコオリンピックでは銅メダルを獲得。
メキシコオリンピックに参加した日本代表選手・コーチのほとんどが、クラマー氏の指導を受けていました。

この後、1975年にクラマー氏がバイエルン・ミュンヘンの監督としてUEFAチャンピオンズカップで優勝した際にうけた、「人生最高の瞬間ではないか」との質問に対して、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない」と答えたとの逸話が残っています。

またクラマー氏は世界約90カ国で指導に当たられたそうです。

謹んでご冥福をお祈りします。
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