【レジェンド】オランドが生んだ背番号14。サッカーの革命児「ヨハン・クライフ」

配信日:2015/10/04 22:02 Written by 久保 友宏
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 【レジェンド】オランドが生んだ背番号14。サッカーの革命児「ヨハン・クライフ」
Dutch footballer Johan Cruyff at the World Cup football competition in West Germany, June-July 1974. (Photo by Getty Images)
オランダの英雄、ヨハン・クライフ。10歳で地元クラブのアヤックスに入団し、たぐいまれなセンスで頭角を現し、1964年に17歳でプロデ ビューを果たす。クライフは一見、やせ細っているので当たりには弱いと思いきや、体格的なハンデなど微塵も感じさせないプレーは圧巻だった。後に「ストリートで転び方を学 んだ」という名言を残している。

現在オランダはFIFAランキング12位の強豪国の一つだが、かつてオランダはサッカー弱小国の一つだった。1947年生まれのクライフがW杯に初めて出場したのは1974年西ドイツ大会、年齢は27歳の時だった。この大会でオランダはトータル・フットボールを展開し、サッカー界に革命を起こした。ちなみにトータル・フットボールとは、一人ひとりの選手が、ポジションに関わらずスペースを作り出すためにコートを動き回るサッカー。クライフのポジションは一応FWだ。だが、FWだけでなくディフェンスラインにも顔を出し、自由にピッチを駆け回った。当時は斬新すぎる動きだった。

また、クライフの代名詞といえば背番号14だが、この番号にはこだわりがあったそうだ。10番はペレ、9番はディ・ステファノのイメージがある。僕は僕のイメージをつくりたいという理由から14番を選択したという。ちなみに、ディ・ステファノとはペレの前にサッカーの神様と呼ばれたレジェンド選手だ。

2007年、背番号14番がアヤックス・アムステルダムの永久欠番となった。オランダではクライフは絶対的な存在だ。芸能界では明石家さんま、アトランタ五輪の監督・西野朗などもクライフが大好きで背番号14を好んでつけていたとう。

現代サッカーの礎を作った人物でもあるクライフ。近いうちにクライフ特集のパート2を書きたいと思う。
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