【チェコの大砲】パベロ・ネドベドのパワフルなドリブルとバズーカシュート!

配信日:2015/10/18 18:00 Written by yohji
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チェコという国を世界中に知られるようになったきっかけであり、イタリアサッカー界に蹂躙し続けた欧州最高峰のMF。そんな彼はサッカーのルーツは、父が元プロサッカー選手だったことから始まる。

チェコ国内で圧倒的な活躍を果たした彼は1996年にイタリアのラツィオに活躍の場を移すと、そこで躍進を遂げる。移籍してすぐにレギュラーになるとそのままリーグ優勝、さらにはカップ戦も制し初年度で2冠と黄金期をメンバーの一員となる。そんな順風満帆なサッカー人生だった彼だったが、2001年に大きな転機が訪れることになる。当時ラツィオのオーナーだったセルジョ・クラニョッティが経営していた大手食品会社の業績悪化で、多くの選手を放出することになる。その中にネドベドも含まれ、彼はユベントスと移籍するのだがそのユベントスこそが彼のサッカー人生の最大のハイライトとなった。

彼のプレースタイルは現代サッカーの先駆けというくらい強烈だった。サッカー選手としては長く伸びた金髪をサラサラとをなびかせサイドを蹂躙。無尽蔵のスタミナで試合終了のホイッスルが鳴るまで走り続け疲れきったDFを置き去りにしていった。パワフルなドリブルでPA内に侵入し、両足で遜色ないバズーカのようなシュートでゴールに突き刺す。圧倒的なそのプレーは見るものすべてを虜にした。

そして2003年、いまやメッシやC・ロナウドなど世界最高峰の選手しか選ばれないバロンドール賞を獲得し、名実ともにレジェンドの域に到達するのであった。そんな彼だが、ちょっとだけ運には恵まれていないようだ。2002-03シーズンのCLではチームを決勝まで導く活躍を見せるが、準決勝のレアル・マドリー戦でイエローをもらい累積警告で決勝戦を出場停止になる。チームも決勝でミランにPK戦で敗れてしまうなど、大舞台の土壇場で出場できなくなることいくつかあった。「ネドベドがいれば」などという言葉がイタリアでは当時呟かれていたようだが、「良いこと悪いこと、そういった全てを含めてサッカーというものだ」とネドベドは語っていた。人格者である彼だからこそ言える言葉だった。

出展元:https://youtu.be/aSgDLZhs9Qo...

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